「小さな声」を聴き、高砂に希望の春風を!
Q.立候補に至った経緯
高砂のみなさんへのご恩返し
今の私があるのは、ほんと高砂みなさんにお世話になったおかげ!ということをずっと思っていましたので、定年後は是非高砂のために何かお役に立てればと思っておりました。もうずっと教育畑でおりましたので、教育の分野でお役に立てればというふうに将来を考えておりましたところ、このように立候補のお話を公明党の方からいただきましたので、ここが一番!使命の場所と思い、立候補いたしました。
実は大学時代、不登校になってしまいまして、大学を途中で中退してしまったんです。
20代の頃は大学も途中でやめ、仕事も中途半端な形で、結婚を機に30歳の時にに妻の実家のある高砂に越してきました。
曽根に住んだんですけど、地域の皆さんがものすごく暖かくて、暖かく受け入れてくれて、言ってみれば大阪から越してきて、どこの馬の骨ともわからないって感じだったと思うんですけど、みなさんも暖かくしてくださって、励ましをいただきまして、高砂で結婚、子育てをさせていただいて、この町と、山と海、自然があって、言っては失礼かもしれませんが、大阪には全くそういう場所がなかったので、子どもと一緒に自然の中で童心に帰ったような感じで、子育てもさせていただいて、そうやってる間に、だんだん元気に自分もなって、この子どもたちの将来を考えたら、自分自身がもう一回夢に向かって、チャレンジするのが良いんじゃないかと言う思いがありました。
そういう自分に生きる希望というか、もう一回夢にチャレンジしようというのを与えてくれた場所が高砂だったんです。だから、そのご恩返しをしたいというのが、本当に私の偽りざる今の1番の、このお話を受ける理由であり、きっかけです。
30歳からの再チャレンジ
とは言うものの、不安だらけでした。高砂にきて、就職活動もして、家計を支えていかなければなりませんでしたから、ハローワークにも通って活動したんですけど、その時に、妻から、あなたが1番好きなことをやるべきじゃないかと。子ども生まれましたので、育てるのもなかなか大変だということで、いろんな職種を当たっていたんですけど、悩んでいる中で、妻の方からそう言われて、中退しててもできる仕事ということで、学習塾の講師になったんです。3年半勤めました。
それが30歳からです。そこで経験して、学習塾だったら、週に1、2回くる生徒の勉強を学習を見るだけだったので、是非とも、この子たちの持っている可能性を引き出せる教育の仕事に就きたいなという気持ちがだんだんと積み重なって、33歳の歳に教員採用試験に挑戦いたしました。
正式に小学校の教員になりまして、27年間勤めさせていただいたんです。子どもたちの幸福を第一にという、それを信念に教育実践を27年間させていただきました。ただ、採用されたのが加古川市で、加古川市の小学校教員として22年勤めさせていただいて、その後、ご縁があって西脇で小学校で、教頭と校長を5年させていただいて、今年の3月に定年退職し、その後、西脇市の教育委員会で、年度会計職員で勤めておりました。
校長として、勤めさせていただいたんですけど、自分が不登校になった経験がありましたので、学校に来ずらい子どもたちであるとか、学校生活の中でしんどい思いをしている子どもたち一人一人を、まず自分が安全地帯になって、守ってあげて、元気づけて、私と同じように、またもう一回、何かチャレンジしようっていうふうな気持ちを持てるように、というのをずっと教育実践してまいりました。
Q.大切にしていること
子どもたちの幸せを第一に
子どもたちの幸せを第一に考えた教育というのをずっとしてきましたので、どちらかというと、今までみたいに、社会のニーズに合った子どもたちを育てるというよりかは、子どもたちが将来、自分らしく、生き生きと生きていけるための、社会というか、逆転の発想で、そういうものを作っていきたいというのがすごくあります。
今実際、コロナ禍で不登校も増えている状況は高砂も変わっていない状況だと思いますんで、なかなか学校に通えない子どもであるとか、学校には頑張って通っているんだけど、教室に入れなかったり、教室に入っても居場所のない子どもたちのために多様な学びの機会や、それをサポートする、教育システムというか、先生方が無理なくできるようなものを自分なりに力になれたらなと考えています。
Q.高砂市の課題
地域みんなで学校づくり
私が、もう一回やり直そうというエネルギーをもらえたのが高砂なんですけど、今それがまち全体にあるかなと思ったら、あるんだけど、生かされてないんじゃないかという気がするんです。人にしても、私の周りにいてくださった、高砂の温かい人たちの人情であったり、祭りで元気でエネルギッシュなまちの人たちであったりとか、このまち自体も会社がたくさんあって、潜在能力もたくさんあると思うし、自然も残っていると思うので、そういう人、まち、そこに持っている潜在エネルギー、可能性を生かすことが課題であるかなと思っています。
アプローチとして、中心になるのが、子ども、未来かなというふうに思っています。そこに目を向けて、そのために、こうしていったら良いんじゃないかっていう発想でスタートしていくことによって、子どもも、子育て世代の大人も、孫育てをしている高齢者の方も、全ての世代の人に笑顔が溢れるんじゃないかと思っています。
今、学校民主主義という、学校の行事であったり、ブラック校則であったり、そういうものについても、決めるときに、先生だけで決めるのではなく、その話し合いの場に児童、生徒がいたり、保護者がいたり、先生がいたり、それも対等な立場でみんなで話し合って、学校づくりをしていく、将来的にはコミュニティスクールといった形になっていくと思うんですけど、そういう地域の学校を地域みんなでつくり、支えていくのが大事かなと思っていて、そういうところでお役に立てればなと思っています。
教育への行政サポートの拡充
学校の現場で仕事をさせていただいていて、例えばクラスで発達障害等があり、なかなか学級の中で、みんなと生活がうまくいかない子たちもいます。その子たちのために、通級などの制度があります。不登校の子どもたちも安心して過ごせるような場所がさらに増えれば、保護者の方の家庭での負担を減らすこともできるでしょうし、安心して学校で過ごせるようになって家庭に帰るということになれば、そこから、今までしんどかった人が、一人二人、笑顔に変わっていくんじゃないかな?と思っているので、具体的には行政サポートの充実の面から仕事させていただこうと思っています。予算提言も含めて、市民の皆様からのお声をしっかり聞いて取り組ませていただきたいと思っています。
Q.高砂市のいいところ
地域を愛する人が多い
神爪の自治会の副会長をさせていただいているんです。理事はほとんど50代後半から、60代、70代の方がされているんですけど、子供会をされてる世代があって、子供会の運営を頑張られている、その間の世代も補導委員であるとか、色々な立場でがんばられていらっしゃる方々がいて、世代ごとに頑張っていらっしゃる人がいるところ、そこは高砂の地域を愛する人が多いというのは実感として持っています。
選挙事務所
高砂市神爪2-12-6
079-431-5152
ーーたかさご選挙.comレビュー・春増勝利さん
不登校の経験を乗り越えての再チャレンジ
取材も真剣に応対していただき、非常に真面目な方だなという印象です。不登校を経験しながら、30代を超えて教職員として再チャレンジされ、校長職を勤められた経験を活かしての、教育の現場から高砂市に恩返しをしたいとの挑戦です。