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加古川市議会や市政のウォッチャーとしてリスタートします。

つげあつひと議員へインタビュー

つげあつひと議員へインタビュー

 
 
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つげ あつひと 市議会議員

—2 期 8 年を振り返っていかがですか?

 産後ケアの予算拡充、給食費の無償化、地域新電力会社の設立、振り返ると、いろいろ形にできました。例えば婚活支援と結婚新生活支援。実は私自身、40 代後半まで結婚できずにいたんです。結婚したいのにできない、子どもが欲しいのに産めない、そういう方たちの気持ちが自分ごととしてわかるから、求めてきました。48 歳で結婚して、50 歳で子どもを授かった今、本当に実現できてよかったと思っています。

 子ども食堂も、8 年前に市内を回って、頑張っているのに情報が全然届いていないと気づいたことがきっかけでした。広報への掲載を求めたら、すぐ実現しました。大きな政策だけでなく、こういう身近なところから丁寧に積み上げてきたつもりです。

 ただ正直に申し上げると、最初の頃は熱い思いとスピードだけで突っ走っていました。議会で発言して満足して、実現しなければ「市長が理解してくれなかったから」と思っていたところが正直あって。それではいけないと気づくのに、少し時間がかかりました。
 
 会派を組んだことは大きかったですね。期も上で市役所経験も長い先輩議員からは、関係者への丁寧な根回し、きちんと結果を出すことの大切さを教えていただきました。一期下の同僚からは、市民と真剣に向き合う情熱を間近で見せてもらいました。ただ議会で発言するだけでなく、市民と行政の橋渡しをきちんとできるようになってきたのは、本当に最近のことなんです。

—政治家への想いとは

 やっと脂がのってきた、というのが今の実感です。情熱とスピードはもともとある。そこに実行力が備わってきた今こそ、もう一期やらなければという気持ちです。市民相談は多い日で 1 日 3 件来ます。それでも全然苦ではないんです。人間が好きなんです、とにかく。百回生まれ変わっても、この仕事を選びます。

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ー議員を志された理由をお願いします。
 加古川東高校を出てすぐ東京に行って、25 年間いろんな夢を追いかけていました。弁護士も目指して、挫折もしました。その後、自分と同じように大学院まで出たのに行き詰まってしまった若者たちの姿を見て、新宿で就職支援会社を経営するようになっていたんです。そういう方たちって、真面目に頑張ってきたのに、いざ社会に出ると自分でどう生きていけばいいかわからなくなってしまっている。励ましながら、企業につないで、一人ひとりと向き合ううちに、もっと大きなインパクトを社会に与えられないかと思うようになっていったんです。

 45 歳のとき、加古川に戻って衆議院選挙に挑戦しました。結局 2 位で敗れましたが、その選挙戦の中で、自分はこの分野に向いているなとはっきりわかりました。議員になって初めて予算書を開いたとき、ありとあらゆる項目と数字が並んでいて、お金がどこから入ってきて、どこにどんな理由で使われているのか全部書いてある。あ、これだ、自分がやりたかったのはこれだ、と思いました。物心ついた頃からずっと、この仕事を求めていたんだなって。

—加古川の良いところ、課題、これからを聞かせてください。

 加古川の人って、本当に人柄がいいんですよ。国道 2 号線で合流するときも「どうぞどうぞ」って入れてくれる。有名企業のサラリーマンでなくても家を買って家族を養えるし、新幹線で大阪も東京もすぐ行ける。ちょうどいいバランスの街だと思っています。

 ただ課題もあります。最盛期 27 万人近くいた人口が今は約 25 万人、このままだと30 年後には 10 万人になると言われています。27 万人のために作ったインフラを、10 万人で維持していかなければならない。でも今がそこまで悲惨ではないから、危機感が薄い。これが一番怖いんです。

 東京で、視野が狭いまま社会に出て行き詰まってしまった若者たちをたくさん見てきました。加古川も同じだと思っています。恵まれているうちに、次の手を打たなければいけない。安心して結婚して子どもを産み育てられる経済的な基盤を作ること。私自身、48 歳で結婚して 50 歳で子どもを授かりました。自分の力で、喜びを持って人生を切り開いていけるような社会を、子どもの教育から作っていきたいんです。

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筆者からのコメント

 とにかく情熱が生きて動いているようなエネルギーが溢れているタイプの方だと感じました。市民の声を聴き、市政の議場へ上げていくことを続けられている印象です。一般質問なども、地域の市民に寄り添った質問が多いように見受けられます。市民の声や市民からの相談を基軸に活動されているタイプの議員の一人かと。